◆特別養護老人ホーム(介護職)→デイサービス(施設長)→訪問介護事業所(サービス提供責任者)
O・Rさん(女性・35歳)
経歴詳細
●特別養護老人ホーム(勤務期間:5年/月収手取り約20万円・ボーナス約45万円)
●飲食店(勤務期間:2年)
●障害児支援(勤務期間:4年/月収手取り約27万円)
●デイサービス(勤務期間:4年/月収手取り約28万円・ボーナス約28万円)
→訪問介護事業所(サービス付き高齢者向け住宅に併設)へ異動(勤務期間:1年/月収手取り約30万円・ボーナス約60万円)
保有資格:介護福祉士、准看護師
家族構成:独身
*O・Rさんの「転職 成功・失敗 体験談」…1回目、
2回目、
3回目、
4回目(最終回)はこちら
【介護の仕事を始めたきっかけ】祖父の介護をしていたヘルパーへのあこがれ
小さな頃から、祖父母と一緒に秋田県で暮らしていました。
でも、消防団の団長をするほど元気だった祖父が、病気のせいで急に歩けなくなってしまって。私が小学校に上がる頃から寝たきりになってしまったのです。
「歩けないなら死にたい」と嘆く祖父と、それをなだめる祖母。とても仲が良かったのに、ケンカもしょっちゅうで、家の中が暗くなりました。
そんな折に、訪問介護のヘルパーさんが来てくれて、その人のおかげで家の中の雰囲気がガラリと変わったのです。
寝たきりで天井ばかり見て過ごしていた祖父が明るいヘルパーさんに体を拭いてもらい、車イスにのせてもらって縁側に出て……。視界が開け、外を見てはうれしそうにしていました。
祖母もヘルパーさんが来るのを楽しみにして、部屋をきれいにしてお菓子を作って待っていました。
介護保険制度が始まる以前の頃の話ですが、祖母が作ったお菓子を縁側で祖父母とヘルパーさんと私とで食べるというのが、当時の私の家での介護のしめくくりの時間で、私にとっても楽しみな時間だったのです。
ヘルパーさんが来てくれたら、前のように祖父母が仲良くしている。家に笑顔が戻ってくる。
ヘルパーさんってすごい、私もあんなふうになりたいって思っていたのです。
小学校2年生の頃から
「私は大きくなったら介護をする人になる」と決めて、その思いをつないで、福祉学科のある隣町の高校に進学しました。
高校を卒業して介護福祉士の受験資格を得て、高校卒業の翌年には資格を取りました。
【はじめての介護職】上京して特別養護老人ホームへ
熱く介護に立ち向かう10代の頃
就職は、高校に求人の紹介が来ていた東京の
特別養護老人ホーム(特養)に面接に行きました。
東京のほうが求人が多くて、その後も就職先を探すのに有利だろうと思えましたし、東京という街にも興味がありました。
求人先はオープンして半年、アクティブな介護をすすめている特養で、若い職員が多いのも、就職を希望した理由でした。
就職活動は順調に進み、高校卒業と同時に新卒で正職員の介護職員として勤務することに。
同じフロアに同期が5人いて、雰囲気も明るくて働きやすかったです。
先輩といっても「半年先に入った人」ですし、スタッフみんなが同じ線上にいて、一緒にこの特養をつくっていく、という気持ちで仕事に臨んでいました。
こういう、オープンして間もないホームで働くことや、オープン前にいっせいに職員を募集するオープンスタッフとして働くこと、私はおすすめしたいです。
ただ、今思えば、私は若気の至りといいますか、「よし、いい介護をしよう!」という意気込みが強く、かなり過激な発言もしてきたと思います。
ひとりひとりに合わせたケアプランをきちんと作らないケアマネジャーにカチンときて、現場の職員が結束して、ケアマネジャーに抗議をしたり。
便のついているシーツをみつけたら、放っておいた介護職に「こんなんじゃダメだよ、今すぐ替えようよ!」と意見したり。
まだ10代の若造にこんなことを言われるなんて、腹が立ちますよね。
同僚たちが熱すぎる私をいなして上手に謝ってくれていた当時のことを思い起こすと、「ちょっと恥ずかしい」という思いです。
けれど、純粋に介護のことばかり考えていたあの時間はとても貴重でした。
上長も包容力があり、同期3人にフロアリーダーを任せてくれ、みんなの総力でイベントを計画したり、現場を変えたりするのを、黙って、ときにはやさしく注意しながら見てくれていました。
いろいろな世界を経験するため「5年で辞める」と決めていた
ただ、入職するときから、「5年で辞めよう」と決めていたんです。
うまく言えませんが、「熟練して成長を止める自分を認めたくない」みたいな気持ちでした。
このままこの特養で5年以上勤務したら昇進するだろうし、そうなったら守りに入ってここに骨をうずめることになりそうで。
もっといろんな現場で働きたい、たくさんの経験をしたいという気持ちも強く、4年を過ぎた頃から、働きながら転職のことを考えていました。
【介護以外の業界へ】飲食業でお客様第一の精神を学ぶ
働く人が幸せになれる仕事の仕方を考え続けて
転職先は、介護職にはこだわりませんでした。
4年間介護の現場に向き合い働くなかで、私には気がかりなことができていました。
それは「介護スタッフが病んでいくこと」です。
「誰かのためになりたい!」と思って介護の仕事を始めたはずのスタッフが悩み眠れなくなったり、無力感に陥ってしまったり…。
利用者様はもちろんのこと、働くスタッフにも幸せでいてほしい!という気持ちが強くなっていきました。
「働く人の笑顔も支えられる人になりたい」、そんなことを考えているときに、ある居酒屋に出会ったのです。
その居酒屋は、接客にとても力を入れていて、「お客様のことをしっかり考える仕事こそ、働く人も幸せになれる」というのがポリシーでした。
店長の方はその会社のポリシーを、自分なりの工夫で実現していると、熱く語り始めたのです。
開店前、常連さんのことを思い起こし、「今日も仕事がんばっているかな、いやな思いをしていないかな」と心配する。
お箸をセッティングするときは、「お店に来て、箸がまっすぐに置いてあるのを見たら、きっと気持ちいいよな」と整える。
もうすぐあのお客さんは誕生日だったな、メッセージカードを書こうかな、どんな文面がいいかな、と考える。
そうやってお客様のことを思い、お客様に喜んでいただけることを考えてわくわくすることが、自分達をも成長させてくれるし、大きな喜びにつながっていると。
人の話を聞いて、こんなに気持ちが熱くなったことはない、この人の下で働いてみたいと思い、特養で働きながら、夜は居酒屋でアルバイトを始めました。
サービス提供の基本を教えてもらえる飲食店に転職
店長のように、お客さんを思い、サービスをしていると、お客さんが笑顔になることが自分にとっての幸せにもなっていくのです。
そして、
次はもっと喜んでいただけるよう、仕事をがんばる。
これって、どんなサービス業にも通じる基本で、介護もこうあらねばならないとつくづく思いました。
本当は介護現場でもサービスの基本が大切だとわかっているのに、長く勤務していると、そういう気持ちも少しずつ薄れ、職員間の人間関係などに気持ちを奪われ、利用者さんのことを第一に考えることを忘れてしまうこともあります。
そんな働き方はいやだな、という思いが、居酒屋で働くほど強くなり、就職して5年が経ったときに特養を退職し、居酒屋に正社員として就職しました。
【転職のきっかけ】介護へのあこがれと愛着を再確認
居酒屋での仕事では、毎日たくさんのことを得ることができました。
しかし、働いている間もずっと口にして来たのは、
「介護は私の天職」「介護に携わる人を支える仕事がしたい」という思いでした。
そんな思いを口にし続けたある日、常連さんである看護師さんから、「その思いを叶えるだけの知識と技術を身に付けたらどう?」と、言われたのです。
ストン、と腹に落ちる一言でした。
そして、そこから、「自分が本当にやりたいこと」の本質を見つめ直すことにしたのです。
<三輪 泉(ライター・社会福祉士)>
次回は、介護業界への出戻り転職を決意したOさんの経緯をお伝えします。
次回「また介護現場で働きたい!介護職に出戻りを決めた私~転職体験Oさん2」は、7月17日に公開予定です。
*O・Rさんの「転職 成功・失敗 体験談」…1回目、
2回目、
3回目、
4回目(最終回)はこちら
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